2011年12月07日
伝統=思考停止?
どうも、ベジタリアン陶芸作家のnao(なお)です。
京都西陣のレトロで不思議なSOHO町家藤森寮にある
アトリエ&ショップ
vegan pottery nao
で日々、の〜んびり楽しく作陶をしています。
このブログは、
love♡ smile☆ happy♪
をテーマに生きるnaoが、
ある時は動物を愛するベジタリアンとして、ある時は陶芸作家として、またある時は幸せを求めるひとりの人間として、人間も動物もみーんなが今よりもっと幸せになってくれる事を願って、つらつらと書かせていただいているものです。
今回もどうぞよろしくお願いします。
Twitterでお約束した通り、今日は伝統や文化と日本人の思考停止問題(?)について書こうと思います。
みんな忘れがちだけど、伝統と呼ばれる物にも始まりがありました。
今、私達が「古典的だな」と感じる紋様だって、それが出来た頃はめちゃくちゃパンクだったんですよね。
その精神を忘れてただひたすら表面だけ真似て同じ紋様を描き続ける事は伝統を守る行為でしょうか?
描き方(ここは力を入れて、ここはすーっと抜く等)だけ教わって、何も考えずひたすら紋様の模倣をすれば本当に伝統を守れるのでしょうか?
あげく、その過去の紋様をテキトーにコピペして
「私の作品です」
と言っちゃう自称作家の氾濫と、そんな作家達を
「まぁ〜若いのに伝統を守って素晴しい!」
と無条件に褒めたたえる方々は本当に日本の伝統を守っているのでしょうか?
この例はちょっとわかりにくいので、わかりやすい鉛入り絵の具の話をします。
鉛が有害なのはもう常識ですよね?
なのに日本の陶芸界では相変わらず鉛入り絵の具が使われています。
一応、酸に強い(酸で鉛が溶け出すから)耐酸絵の具が主流になってはいますが、無鉛の絵の具だってちゃんと開発されているんです。
というか今の日本の技術をもってすれば、いくらでも開発できるはずです。
なのに、使いにくいという理由から主流は耐酸。
お茶道具なんて耐酸どころかいまだに鉛入り絵の具が使われているし
「海外は(鉛の規制が)うるさいから面倒くさい」
なんて同業者の方からの発言もよく聞きます。
ところが、ここに伝統という魔法の言葉を加えると、陶芸業界サイドの怠惰なわがままも正当化されてしまう。
これは昔からの伝統だから
無鉛絵の具では昔ながらの伝統的な色にならない
そう言われると、不思議と納得してしまう日本人。
さすがに鉛入りの陶器は自分に害が及ぶので、全面的に納得する人も少ないでしょうが、平気で耐酸という名の鉛入り絵の具を使い続けるのは、実に日本人らしいな、と悲しくなってしまうのです。
伝統を守る為に必要なのは昔ながらの鉛入り絵の具で描いた陶器でしょうか?
それとも海外でも通用する鉛の入っていない絵の具で描いた陶器でしょうか?
日本の伝統とされている太地町(だけではないかもしれませんが)の捕鯨問題。
この問題になると太地の人も、大半の日本人も捕鯨という伝統を守り続けるべきだと言います。
鯨肉は食文化だと。
(ちなみに鯨肉=イルカ肉です。鯨とイルカの違いは大きさだけで、鯨肉という名前で販売されている大半はイルカ肉です)
でも、ちょっと考えてみて欲しい。
遠い昔、貴重なタンパク源だった鯨肉は、今では水銀に汚染されてしまいました。
食べ物として完全にアウトになってしまったんです。
絶滅しかかっているとされる(賛否両論あるでしょうが)鯨をわざわざ殺して、これからの地球の未来を担う子供達に毒でしかないその鯨肉を食べさせる事が、本当に食文化であり伝統を守る行為なんでしょうか?
伝統ってどこまでが伝統なんでしょう?
鯨が絶滅しようが子供達が病気になろうが、あくまでも鯨を殺して食べる事までが、本当に守るべき伝統なのでしょうか?
そうではなく、鯨の町という部分をクローズアップできないものでしょうか?
捕鯨ではなく、例えばホエールウォッチングなどに転向すれば、太地町と鯨、日本人と鯨という伝統は今後も続いて行くのではないでしょうか?
太地町の漁師さん達の柔軟性が問われている気がします。
伝統や文化という言葉を使うと、多くの日本人は思考停止してしまいます。
現状と照らし合わせる事も、未来について考えようともしない。
ただ何も考えず、過去と同じ事を繰り返すのは、本当に伝統なのでしょうか?
伝統=思考停止ならば、その伝統に未来はあるのでしょうか?
伝統とはその時代に合わせて柔軟に変化させてこそ守り続けられるもの
だと私は思います。
最初の写真は『幸せさがしさくらづめ夫婦カップ』です。
一見伝統的な桜詰めを描いていますが、よーく見ると幸せ達がいるのです☆
手びねりの器にこんな絵付けは伝統への冒涜?
それとも伝統を守る行為??
naoはあなたの柔軟性を信じてます♪
アトリエ&ショップvegan pottery naoへのアクセスはこちら。
今年いっぱいは、だいたい金土日曜のお昼頃〜17時頃まで、お店にいる予定です。
9日(金)は、焼肉店から菜食店になったVegans Cafe and Restaurantで、店長の松田さん&京都ベジフェスのIさんと密会をするので(笑)お休みさせていただきます。
(松田さん、長い事お借りしてる本は忘れず持って行きます〜)
Vegans Cafe and Restaurantに興味津々だけどまだ行けてない、そこのあなた。
あなたの為に楽しいこと計画しちゃいますのでお楽しみに♡
毎週月火曜日は京都伝統工芸館で絵付け実演をしています。
20日(火)はお休みさせてもらいます。
naoの作品の一部はこちら手作市場さんのサイトでもご覧いただけます。
(このサイトは重くてページが開くまで時間がかかりますが、今後改善されるそうです)
ではでは次回もどうぞよろしくお願いします。
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今回もどうぞよろしくお願いします。
Twitterでお約束した通り、今日は伝統や文化と日本人の思考停止問題(?)について書こうと思います。
みんな忘れがちだけど、伝統と呼ばれる物にも始まりがありました。
今、私達が「古典的だな」と感じる紋様だって、それが出来た頃はめちゃくちゃパンクだったんですよね。
その精神を忘れてただひたすら表面だけ真似て同じ紋様を描き続ける事は伝統を守る行為でしょうか?
描き方(ここは力を入れて、ここはすーっと抜く等)だけ教わって、何も考えずひたすら紋様の模倣をすれば本当に伝統を守れるのでしょうか?
あげく、その過去の紋様をテキトーにコピペして
「私の作品です」
と言っちゃう自称作家の氾濫と、そんな作家達を
「まぁ〜若いのに伝統を守って素晴しい!」
と無条件に褒めたたえる方々は本当に日本の伝統を守っているのでしょうか?
この例はちょっとわかりにくいので、わかりやすい鉛入り絵の具の話をします。
鉛が有害なのはもう常識ですよね?
なのに日本の陶芸界では相変わらず鉛入り絵の具が使われています。
一応、酸に強い(酸で鉛が溶け出すから)耐酸絵の具が主流になってはいますが、無鉛の絵の具だってちゃんと開発されているんです。
というか今の日本の技術をもってすれば、いくらでも開発できるはずです。
なのに、使いにくいという理由から主流は耐酸。
お茶道具なんて耐酸どころかいまだに鉛入り絵の具が使われているし
「海外は(鉛の規制が)うるさいから面倒くさい」
なんて同業者の方からの発言もよく聞きます。
ところが、ここに伝統という魔法の言葉を加えると、陶芸業界サイドの怠惰なわがままも正当化されてしまう。
これは昔からの伝統だから
無鉛絵の具では昔ながらの伝統的な色にならない
そう言われると、不思議と納得してしまう日本人。
さすがに鉛入りの陶器は自分に害が及ぶので、全面的に納得する人も少ないでしょうが、平気で耐酸という名の鉛入り絵の具を使い続けるのは、実に日本人らしいな、と悲しくなってしまうのです。
伝統を守る為に必要なのは昔ながらの鉛入り絵の具で描いた陶器でしょうか?
それとも海外でも通用する鉛の入っていない絵の具で描いた陶器でしょうか?
日本の伝統とされている太地町(だけではないかもしれませんが)の捕鯨問題。
この問題になると太地の人も、大半の日本人も捕鯨という伝統を守り続けるべきだと言います。
鯨肉は食文化だと。
(ちなみに鯨肉=イルカ肉です。鯨とイルカの違いは大きさだけで、鯨肉という名前で販売されている大半はイルカ肉です)
でも、ちょっと考えてみて欲しい。
遠い昔、貴重なタンパク源だった鯨肉は、今では水銀に汚染されてしまいました。
食べ物として完全にアウトになってしまったんです。
絶滅しかかっているとされる(賛否両論あるでしょうが)鯨をわざわざ殺して、これからの地球の未来を担う子供達に毒でしかないその鯨肉を食べさせる事が、本当に食文化であり伝統を守る行為なんでしょうか?
伝統ってどこまでが伝統なんでしょう?
鯨が絶滅しようが子供達が病気になろうが、あくまでも鯨を殺して食べる事までが、本当に守るべき伝統なのでしょうか?
そうではなく、鯨の町という部分をクローズアップできないものでしょうか?
捕鯨ではなく、例えばホエールウォッチングなどに転向すれば、太地町と鯨、日本人と鯨という伝統は今後も続いて行くのではないでしょうか?
太地町の漁師さん達の柔軟性が問われている気がします。
伝統や文化という言葉を使うと、多くの日本人は思考停止してしまいます。
現状と照らし合わせる事も、未来について考えようともしない。
ただ何も考えず、過去と同じ事を繰り返すのは、本当に伝統なのでしょうか?
伝統=思考停止ならば、その伝統に未来はあるのでしょうか?
伝統とはその時代に合わせて柔軟に変化させてこそ守り続けられるもの
だと私は思います。
最初の写真は『幸せさがしさくらづめ夫婦カップ』です。
一見伝統的な桜詰めを描いていますが、よーく見ると幸せ達がいるのです☆
手びねりの器にこんな絵付けは伝統への冒涜?
それとも伝統を守る行為??
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今年いっぱいは、だいたい金土日曜のお昼頃〜17時頃まで、お店にいる予定です。
9日(金)は、焼肉店から菜食店になったVegans Cafe and Restaurantで、店長の松田さん&京都ベジフェスのIさんと密会をするので(笑)お休みさせていただきます。
(松田さん、長い事お借りしてる本は忘れず持って行きます〜)
Vegans Cafe and Restaurantに興味津々だけどまだ行けてない、そこのあなた。
あなたの為に楽しいこと計画しちゃいますのでお楽しみに♡
毎週月火曜日は京都伝統工芸館で絵付け実演をしています。
20日(火)はお休みさせてもらいます。
naoの作品の一部はこちら手作市場さんのサイトでもご覧いただけます。
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ではでは次回もどうぞよろしくお願いします。
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この記事へのコメント
1. Posted by ごっち 2011年12月07日 23:35
ごもっとも!
2. Posted by nao 2011年12月07日 23:42
ごっちぃ!
ありがとー☆
ありがとー☆